「ある種の“仕方なさ”が必要なんだと思う。
仕方がないから、どうしようもないから、って気持ちが
背中を押して、何とか前へ進んできている。
そんなことの延長線上に“今”がある。


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Beckett“PLAY”

ベケット「芝居」


サミュエルベケットの『芝居』は、不条理劇の中でも特に不条理劇的な意味で有名な作品の一つ。初演は1964年、ニューヨークの
チェリー・レイン劇場。小説家でもあるベケットの戯曲では50年代に書いた『ゴドーを待ちながら』が最も有名だが、
晩年の作である『芝居』もそれに次ぐ名の知れた作品と言える。
暗闇にたった一つのスポットライトで照らされるのは、3つの壷から顔だけを出した3人の人物たち、一人の男と二人の女はライトが
当たる毎に喋り続けるも、互いが互いに見えても聞こえてもいないらしく、コミュニケーションをとることが出来ない。しかし、
彼らの話を聞いていくと、次第に3人の関係、ここがどこか?、一つの物語が見えてくるが・・・

動きも会話もない作品であるため、正直な話、退屈という評価も少なくない作品、楽園王では、
この戯曲から読み取れる作者の病的な指示、指定を演出の柱に据えて、壷やスポットライトなどは使用しないで、
観客の想像力の中に舞台が実現できるよう工夫を凝らして、2016年に日暮里d-倉庫のベケット「芝居」
フェスティバルで初演をして、高い評価を受けた。今回は、サブテレニアンという劇場への工夫を加えて再演をする。
出演は、初演から続投するのが杉村誠子、吉田奈央の二人。新しく参加するのが大迫健司である。

演出: 長堀博士

出演:

杉村 誠子
Seiko Sugimura

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日大芸術学部演劇学科に在学中にルームルーデンスの劇団員になり、欧州公演へ。OM-2の舞台監督として欧州に来ていた楽園王の長堀が、東京に戻ったら自分の芝居に出て欲しいと話したのがギリシャのアテネ。以降それが実現し、楽園王の作品としては、『夜の向日葵』『サド侯爵夫人』『王女メディア』『散る散る満ちる』『ELECTRIC GARDEN』『台詞劇・白鳥の湖』『絵の海、図書の森』『生きている小平次』などに出演。その後、Ort-d.d.の劇団員として活動し、退団後は主に演劇実験室◎万有引力への出演が中心的な活動の場に。また、Ortで知り合った小田さやか、金子由菜と共に「3匹が着る」としても活動。その他様々なカンパニーの舞台にも立っている。チンドン屋も仕事にしている。
長堀演出作品では、上記の他に、イヨネスコ『授業』にて利賀演出家コンクール優秀演出家賞を受賞した際の出演者であり、多くの再演にも出演、近年では『イワーノフ』にて利賀演劇人コンクールで奨励賞を受賞した際にも中心的な人物を演じた。『芝居』の初演にも出演し、今回が本作2度目の出演に。

吉田 奈央
Nao Yoshida

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高校卒業後、流山児★事務所に研究生から劇団員として3年間在籍後退団。以降は小劇場出演と共に児童向けのマスクプレイアクターやMCとして活動。近年は小劇場制作『山亀屋』としても活動している。
カリバネボタンに在籍していた時に劇団員の本堂史子が楽園王に出演しており、また、その後、y0sukaやポムカンパニーへの客演で係わっていた長堀と知り合い、少しずつ距離が縮まって出演することになった。楽園王には、『リア王』『幸福の王子』『出口なし』『リア王(再演)』『図書幻想』と出演している。今回の『芝居』へは初演にも出演し、今回が2度目の出演になる。

大迫 健司

Kenji Osako
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都内の小劇場を中心に活動。ポムカンパニーやEgofiLter、Oi-SCALEなど楽園王と仲の良いカンパニーへの出演が続き、楽園王からも声が掛かり、その後はコンスタントに出演。2015年度には、元パパタラフマラ主宰の小池博史氏が学長を務める『舞台芸術の学校(PAI)』に通い、身体表現について学ぶ。
近年の主な出演作品は、楽園王では『幸福な王子』『出口なし』『イワーノフ』(利賀演劇人コンクール奨励賞受賞作品)『物語』『図書幻想』など。2016年7月、ニナディプラ(ダンサー)主催公演『7steps of life』へも出演。今回のベケット『芝居』への出演は、女優二人が初演からの続投であるのに対し、今回が初参加になる。




タイムテーブル:

携帯からの予約はこちらをクリック!



開場は開演の30分前。受付開始も同時です。

☆★ベケット「芝居」公演後にはゲストをお招きしてのアフターイベントがございます。(20分~30分)


アフターイベントのスケジュールはこちら!!(現在調整中のところアリ)

15日(水)19:30 短編「延長戦ガール」上演:出演・岩様繭、村田望、久堂秀明。

16日(木)19:30 【アフタートーク】ゲスト:秋葉舞滝子(SPIRAL MOON主宰、演出家)さん

17日(金)19:30 短編「よだかの星」上演:出演・村田望。

18日(土)17:00 【アフタートーク】ゲスト:フジタタイセイ(劇団肋骨蜜柑同好会主宰、劇作家、演出家)さん

   21:00(Night Stage) アフターイベントはございません。ドリンクのサービスがございます。

19日(日)17:00 短編「ある自殺者の手記」上演:出演・大畑麻衣子。


【アフターイベントの紹介】


◎「延長戦ガール」上演
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作/演出:長堀博士。出演は、岩澤繭、村田望、久堂秀明。
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今年8月に札幌の教文演劇フェスティバルにて初演。
11月4日には島根出雲の雲劇祭2017にて上演し、この1回が唯一の東京での凱旋公演になる。
出演は、近年では「授業」メンバーとして結束している楽園王の主力チームからの3人による短編上演。



◎ゲストを迎えてのアフタートーク1:

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今回の板橋ビューネ2017では、11月8日(水)~12日(日)に「みごとな女」を上演するSPIRAL MOONの
秋葉舞滝子さんにお越しいただき、お話をお伺いします。秋葉さんは楽園王の旗揚げメンバーでもあり、この26年間
コンスタントに出演もしていただいています。また、SPIRAL MOONへは長堀が過去に4作品「読後感」「サクラソウ」
「日射し」「水になる郷」を書き下ろして上演しています。

SPIRALMOON>>オフィシャルサイト




◎「よだかの星」上演

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原作:宮沢賢治 演出:長堀博士 出演:村田望
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今年9月に閉館した野方スタジオの最終企画、ひとり芝居フェスのために創作、上演した作品。
ひとり芝居フェスなんだから全部一人で行こうと、音響や照明も全部村田望一人で出来るように工夫し、好評を博した。また、原作の力を観客の想像力を引き出してより輝かそうと意欲的に取り組んだ作品。



◎ゲストを迎えてのアフタートーク2:

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11月10日(金)-13(月)に新宿眼科画廊にて「安吾二篇~散る日本/白痴~」の公演を行う劇団肋骨蜜柑同好会の
フジタタイセイさんにお越しいただき、お話をお伺いします。「散る日本」は2015年に板橋ビューネで初演した高評作の再演で、
劇団肋骨蜜柑同好会はビューネとも縁の深いカンパニー。つい先日、 9月には野方スタジオのひとり芝居フェスにて
楽園王は「よだかの星」、劇団肋骨蜜柑同好会は「フジタタイセイの粗忽長屋」をそれぞれ上演し、好評を博した。

劇団肋骨蜜柑同好会>>オフィシャルサイト



◎「ある自殺者の手記」上演。

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原作:小酒井不木。演出:長堀博士。出演は大畑麻衣子。
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今後の上演に向けて、今回、新しく取り掛かる新作のリーディング公演。小酒井不木は大正から昭和にかけて活躍した、
江戸川乱歩のお師匠さん的な存在としても有名な推理作家。大畑麻衣子の一人芝居はこれが初。




今回の稽古初日に合わせ、出演者へ渡すために文章を書いた。なぜ、こんな文章を書いたのかといえば、分からない。確かに分からないが、何か、危機感みたいなものを、周囲の演劇の現場に感じたからだろうし、自戒の念も込められているのかも知れない、とも後から考えて思う。その危機感が危惧であって欲しいと願う。文章は以下。


何かを始める前に、これをやる意味は?と考えるのは別に不思議なことではないと思いはする。どんな成果を求めてそれをやるのか、先に知っていた方がやる気も持続するかもしれない。そして実際にそれをやって、最後には「最初から分かっていたゴール」にたどり着く。計画通り。例えば教育の現場で、あるいは子供自身こそがこのことを求め、それを重要視する。始める前に成果を知っていたい。手に入れる前に何を手にするのか知りたい。学校の勉強とは終始そんな具合だ。僕らの社会は、そして人生は、そうであることを望んできたし、どんどんそのようになってきている。無駄なことに時間も労力も割きたくないし、分かりやすい充実が欲しいし、確実になにものかを手に入れたい。みんなガイドブックを手にして旅をする。


しかし、もし世界がこんなことばかりだと、未知なものの発見もなければ、何かを越えて進歩をする、なんてこともなさそうだ。設定されたゴールを目指す人生を全員が目指す社会なら、その社会には発展はないと思える。なぜなら、それには「はみ出す」ことが必要だから。目的のハッキリした意味のある行動では、たどり着けない場所が確かにどこかにはある。ガイドブックの外にも世界はまだまだ存在している。


だから、あえて、何かを始める前に、それがどんな成果を生むのか、そもそも成果と呼べるものにたどり着けるのか、分からないことをやる、ということは、大げさに言うなら人類の進歩に必要なことに思える。分かるからやる、ではなく、分からないからやる。知っていることをやるのではなく、知らないことに手をつける。誰かの歩いた道ではなく、道なき道を草を掻き分け進んでいく。誰かがどこかでそれをやらないと、人間はそこでお終いだし、また、誰かがどこかでそれをやっているからこそ、今がある、と僕は考える。世界の中で、歴史の中で、そんな人が馬鹿と呼ばれたり天才と呼ばれたり、愚かだと陰口叩かれたり偉人と教科書に載ったりしてきた。そんな風に思う。


そして、人類の進歩とか大げさなレベルではないが、演劇は後者だと考えている。僕の私見だが、演劇が芸術の一端である以上、そりゃ後者だと考えたい。さて実際はどうか? 何かを始める前に、その成果は見えない。だから、能率よく、効率よく、最短の道なんてものがない。確かに本番というタイムリミットは設定されているし、どうにかこうにかその時には作ってきたものを見せなくてはならないのだが、でも、作品としては、決まっているゴールを目指すのではなく、決まっていないどこか、ゴールの先にあるもう一つのゴールみたいなもの、を目指すのが・・・、いや、そもそもこの道が正しいのかすら分からない、が、そこは経験や勘で、まだ見ぬどこかへ行けるのではないか、そんな気持ちで進んでいくのが、演劇の稽古場だと思っている。ガイドブックに書かれていないことを試さないでは、もうどうしようもないのが演劇だと僕は思う。(もうどうしようもない、とか、いてもたってもいられない、とか、僕には重要な感情の一つだ。)


だから、演劇が手にする知は時として先鋭だ。 もちろん、無駄も失敗も多いことも明記しておこう。 でも、誰かがやらないではいけないことだろう。


何かを始める前に、これをやる意味は?と考えるのは別に不思議なことではないと思いはする。だが、しかし、正直に言うなら、僕にはそんなことをやる意味が分からない、なんて時も多い。でも、それでも、騙し騙し進んでいっている。騙し騙しね(笑) ねえ、これ、そのことの説明になっているだろうか。(長堀博士)