楽園王2018-2021 >>













27年目の楽園王、見回してみると、今のこの社会にとって大切なのは、東京オリンピック開催の実は翌年である、2021年だと考えています。昔、一部の芸術家だけが、この家々とビルが立ち並ぶ都市に荒野を視ている、と書いたことがありますが、現状は考えている以上に酷いのではないか、と思えます。目に見える箱はすべて張梵天(はりぼて)で、中はスカスカ、世界はただの荒地で、廃墟かもしれない。ある日、オリンピックという蜃気楼が消えて、経済が確実に下降線を辿っているのがハッキリ目に見えて、対策をしていないこの国では様々な問題が浮き彫りになってくる。一言で言って、ヤバイ。そう思えるのですが、如何でしょうか? そしてそんな3年後、楽園王にとっては劇団30周年の年でもあります。長く続いているカンパニーとして、長期的な視野でものごとを見られるのも利点。そこで楽園王では、2021年までの活動のグランド・プランをほぼ決定し、来るべき日に向けて準備を始めています。明日終わってしまうカンパニーではなく、継続していくものとして、今までの仲間に新しく助力してくれる才能を加えて、より力のある作品を発表してまいります。生き残りをかけて。あるいは、新たな道を探して。あらためまして、よろしくお願いいたします。どうか、本当によろしくお願いいたします。
と、いうわけで、
今、
いや、きっといつでも、
いつでも、
出演していただける仲間、意欲あふれるスタッフを求めています。何か、ビビッと来るところはありませんでしたか? どうか何かあったなら、是非ご連絡下さい。楽園王は1991年に長堀博士の戯曲を発表する場としてスタートしました。長堀が描く物語は、「エッシャーの絵に中に紛れ込んだよう」と評される、迷路のような、どんな出口にたどり着くのか分からないのが特徴です。また、古典戯曲を上演するカンパニーとしても定評があり、優秀演出家賞などの受賞実績があります。演出の視点からお話すれば、長く続いている劇団としてのノウハウを生かし、俳優の力を引き出して、広く舞台の世界で活躍できる未知の才能を発信したいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。 >> home@rakuenoh.tokyo


インタビュー1 

「それではさっそくインタビューをはじめたいと思います。」
「よろしくお願いします。」
「まず、楽園王という劇団ですが、今年で27年とずいぶん長く活動されていますね。」
「ええ、そうですね。」
「こんなに長く続いている小劇場の劇団もめずらしいんじゃないですか?」
「数えたことはないですが、少ないとは思います。」
「どうして長く続いたのでしょうか?」
「やめなかったからですね」
「やめなかった、それを詳しく言うと?」
「えーと、続けようって思って活動していたわけではなく、ただやめなかったと」
「じゃ、他の多くの劇団はどうしてやめてしまうのでしょうか?」
「んー、知らないです」
「売れている劇団とかもたくさんあったと思いますが、なんだか勿体無いですね」
「勿体無いですね。でもやめるのには、売れているとか関係ないみたいですよ。」
「というと?」
「お客さんとの関係を理由にやめてしまう劇団は少ないと思います。半分はたぶん仲間との関係が理由で解散してしまい、もう半分は主宰する人の個人的な理由からだと思います。その理由には、経済的なことや、結婚とか、親の介護とか、様々、演劇に興味がなくなった、なんていうのも含まれますが。」
「そうですか。」
「調査した訳ではありませんから、あくまで個人的な印象ですが。」
「何か長く続けるコツみたいなのはあるんですかね?」
「分かりませんが、楽園王に関しては運だと思っています。」
「運。」
「はい。劇団というものは、きっと途中で終るのがデフォルトと言いますか、途中も何も、はっきり「上がり」がある訳ではないので、どこかでは終わりが来ます。楽園王も、実は2年間やって終わりにしようと思ってスタートしたんです。2年間で10本公演したらお終い。ですが、最初の1年で5本は何とか発表できたのですが、その後の数年は好評だった「メタファンタジア」という作品の再演ばかりで、他には楽園王名義以外でやってみたりとか、6本目の新作を楽園王で発表できたのは、○年目の「ムユウ」という作品になります。その頃には10本で終わりに、なんていう考えが変わっていました。ですが、賞味期限といいますか、劇団が停滞する時期はどの劇団にも存在すると思います。昔なら10年か9年目くらい、今の時代はきっとすごく短くて5年か、もしかしたら3年で、あ、ヤバイ、ってなるように見えます。」
「3年で劇団は解散する、と。」
「まあ、そうですね。」
「大胆なこと言いますね。」
「あくまで個人の意見です。」
「そこを乗り越えるにはどうしたらいいんでしょうか?」
「変革してく、ということが必要だと思っています。」
「変革、ですか?」
「矛盾した言い方になりますが、同じことを続けていくには同じことを続けて行ってはダメなんです。それでは続けられない。」
「それで変革、楽園王もそうやって節目節目に変革を起こしていったと。」
「いえ、そこがね、運、ってことなんですが。そんなことを考えて意図的にそうしていった、ということではないのです。」
「というと?」
「まず、そうですね、同じ時期に旗揚げした仲間の劇団がどんどん売れて行くんです。売れるって言うか、ちょっと素敵な大きな劇場に進出していく。仲間の芝居を観に、東京芸術劇場へ行ったり、青山円形劇場へ行ったりすると、もう、自分もそこで公演したくてしたくて仕方がなくなる。」
「実際に公演されていますね?」
「それは、その目標とするような劇団が身近にいたからです。売れていたとかではなく、同じことを続けるのではなく、上へ上へどんどん頑張って行った。ちょっと無理やりに。」
「変革ですね。」
「まったく意図的じゃないんです。結果論。それと、楽園王が旗揚げして9年目ですか、普通なら停滞する時期だと思うのですが、利賀演出家コンクールというのが富山県の山奥で始まった。」
「現在の、利賀演劇人コンクールですね。楽園王はそれに第1回から出場しています。」
「ええ。今まで自分の書いた作品だけを上演してきた人間が、300万という賞金に釣られてコンクールに応募した。」
「300万ですか!」
「ええ。当時は300万でした。お芝居上演して300万もらえるチャンスなんて、そりゃ、ねえ、でしょ?」
「ええ、そりゃ、ですね。」
「それで応募して、高校生の時の演劇部時代を除けば、初めて既成の戯曲、古典戯曲を手がけることになる。」
「別役実の『マッチ売りの少女』ですね、日本の不条理劇の中でも特に有名な作品です。50年も昔に岸田戯曲賞を受賞している。初演の演出は鈴木忠志ですから、利賀芸術公園の中心人物ですね。」
「コンクールの創始者で審査委員長でした。当時僕はそういうことをまったく知らなくて、ただただその課題戯曲が面白くて、それで応募をしたんです。今考えればここで『マッチ売り』を選ぶということは恐れ多い。」
「それで、結果は?」
「結果は、まあ、ぼちぼち、と言いますか、自分なりの手ごたえとしては評価されたとも思っているのですが、演出としての仕事をしている一人に名前を挙げてもらえましたし、でも賞レースとしては上には山ほど評価された作品がありました。ただ、コンクールの結果以上に、大きなことが稽古場で起こったんです。」
「稽古場で?」
「はい。実は稽古をしていて、今まで自分が書いた戯曲を稽古していた以上に、『自分の作品』を作っている、という感覚を感じながら稽古ができたんです。充実していましたし、楽しくもあった。ある意味この時が初めて、演出、という仕事にキチンと触れたんだと思います。そしてそういうことがありましたから、翌年の第2回のコンクールにも応募、三島由紀夫の『卒塔婆小町』を上演し、失格と言われ、ガーンとなりつつも、さらに翌年の『Shizuoka春の芸術祭』に招聘していただいた。百万以上の制作費をもらって芝居を作るなんて経験はこれが初めてでした。」
「劇団にとっての大きな変化が、」
「向こうからやってきた、そういう印象です。つまり、そういう認識を持たないまま、楽園王が第2期に入っていました。古典の上演が多くなり、劇場は東京芸術劇場の小ホール1(今のシアターイースト)がメイン、円形にもこの頃に行きました。ずっと支えてもらっている仲間に加え、新しい仲間にも恵まれた。」
「利賀演出家コンクールでは、第5回で優秀演出家賞を受賞していますね。」
「はい。第1回から毎年出ていましたので、粘り勝ちです。世の中には一回でいろいろ諦めてしまう人が多いですが、何度も何度も、そういうのって本当は大事だと思います。なんせ第2回から第4回まで毎年失格って言われましたからね、第2回が課題戯曲以外の台本の挿入で、第3回の谷崎潤一郎の『お国と五平』ではすごく評価されたんですが台詞を直しすぎで失格と、第4回は上演時間を明らかにオーバーしまして、でも台本を一切直さなかったら時間出ちゃったんだから仕方がないでしょ、って思ってました。でもルールはルールですからね。ここまで来ると、長堀がまた失格した、ではなく、長堀がやることが失格になっていく、みたいに言われました。でも、第5回イヨネスコ『授業』でやっと二位に到達しました。」
「第6回にも出場し、もう賞をやったんだから来るなと言われたと。」
「ああ、ええ、まあ、で、第7回と8回には自ら挙手して審査員をやらさせていただきました。そして第10回が過去受賞者を中心にしたコンクールだった為にまた出場と。」
「10年コンクール漬けですね。」
「で、話が元に戻りますが、変革が、まったく自分では選択してないとは言いませんが、向こうからどんどんやってきた印象で、気がついたらあっという間に今度は20年目が近づいてきてしまった。」
「2年でやめようと思っていた劇団なのに。」
「ええ、10倍です。吃驚です。」
「20年目にはやはり大きな変革があったんですか?」
「えーと、楽園王の旗揚げは1991年でしたので、20周年は2011年です。10周年と15周年には「祝祭」と題して記念公演的なものを行っていて、この年にもその予定でいろいろ動いていたのですが、3月14日、東日本大震災が起こりました。ある意味、やはりこちらの意図とは関係なく、変革を迫られたと言いますか。僕はこの時期、周囲の他の方の価値観は分からないし、判断がつきませんが、僕は演劇をやる時期じゃないな、と思いました。虚構よりも現実の虚構感のが越えてしまっていた。で、稽古していた公演もやめて、半年近く、いろいろと手がつけられなかった。なんとか年の最後の12月には借りていた劇場との関係もあって、公演を打てましたが、やはり考えることが多くありすぎて、その後数年は楽園王の公演を行えていません。ただ、約束していた公演も幾つかあった。穴を開ける分けにもいかない。それで、個人のプロデュースという形で、フェス参加で短編など規模の小さなものをちょっとずつは発表していました。ただ、何を悩んでいたのか、うまく説明できないと言いますか、自分でも分からないけど悩んではいて、そういう時期が続いたのも事実です。この辺りのことを話す時の歯切れの悪さは、ちょっとごめんなさいです、説明が出来ません。」
「分かりました。では、何年か経って、楽園王が復活する時期の話から。」
「ええ。実はこの少し前の時期に毎年、オクムラ宅の奥村拓君に演じてもらう一人芝居で『華燭』という小説をまるまる上演する、という作品があって、何度も再演していたのです。代表作の一つと言える作品。それで、「みきかせ」という勢いのある色々な若手?の劇団が参加してきているリーディングの上演のフェスに、奥村君の『華燭』を是非、って呼んで頂いた。それが、楽園王という名前を出さないで参加することが何だか失礼な気がして、そのことに背中を押されて楽園王の名前が復活しました。ちょうど25周年の事なんかも考えなくってはいけない時期で、ここから、悩んでいても仕方がないので、行動しながら考えていこう、ってシフトチェンジしたのです。」
「これも、自主的と言うよりは外から背中を押されたって話ですね。」
「はい。つまり運です。」
「運に恵まれている。」
「はい。運と、人に、とも思います。」
「そこから楽園王の第3期が始まったというわけですね。」
「はい。いや、うーん、ところが、それが難しい。」
「難しい?」
「第3期なんて言えるハッキリした塊がない気がします。」
「塊、ですか。」
「とりあえず、まだ。でもちょっと考えて、今も継続中のこの時期を締めくくる言葉があるなら…、考えて、試して、考えて、試しての繰り返し、みたいな感じになるとは思います。ああ、足掻いている、と一言で言えますね。」
「足掻いている。」
「はい、足掻くくらいですから、明るさが足りてない。ま、楽園王にはずっと完全な明るさはない気もしますが。」
「明るくないと。」
「はい。えーと、ここまでずっと、劇団の継続には変革が必要、って話でした。それは、生物学で言う、環境適応だと思うのです。」
「環境適応。」
「環境が変わる時、生き残るためにはその環境に合わせて自分を変えなくてはいけない、それをさっきまで変革と呼んでいましたが、それはつまり進化、のことですね。僕たちはしばしば、成長と進化を混同しがちですが、実はぜんぜん違うものです。進化とは、環境適応、そして、生き残れるか生き残れないかの、厳しい選択の話です。自分というものをしっかり持つ事が重要、って普段なら多くの人が言いますが、もし環境が変わって、もしそれでも生き残って行きたいなら、それまでの自分を捨てて新しい自分にならなくっちゃいけない。環境に合わせて。それが、今、すごく求められている、というのを強く感じている、感じているが、出来ていない、というのが現状に対する率直な感想です。で、足掻いている。」
「そうすると、今が第3期なら、」
「まだカオス、そう、混沌、としていますね、まだ、はい。」
「でも公演は続けていますよね。足は止めていません。公演も毎年多い劇団です。活動的にも見えます。」
「ええ。だから、それをちょっとだけシフトチェンジしていくのが現在進行形での今であり、ちょっと前から、とも言えますし、これからの未来、とも言えます。」
「では、ここまでは過去の歴史を振り返った形ですので、次回、これからについて語っていただきたいと思います。」
「はい。では、また、よろしくお願いします。」

インタビュアー:雨々アメ(仮)(ウテン結構)
インタビューイ:長堀博士(楽園王)

もしもそれを奇跡と呼ぶのなら、

もしもそれを奇跡と呼ぶのなら、
わたしは奇跡を信じようと思います。
手を伸ばして。
頑張れという励ましは、
すでに頑張っている人へは
使ってはいけない言葉だそうです。
頑張れ。
もっと頑張れ。
まだ足りねーんだってことに
気づきやがれ自分。
と思うのはダメでしょうか?
誤魔化し誤魔化し、
自分のこころと身体を使って、
なんとか辿り着きたいものです。
誤魔化し誤魔化しっていうのが味噌ね。
這ってでも到着したい場所を、
頭の中に思い描く。
少し具体的に、
ちゃんと具体的に、
夢ではなく、
野心と呼び換えて、
計画として思い描く。
まずは一歩前へ。
二歩目もすぐにね。
声に出して、
なあ行こうぜって云ってみる。
なあ行こうぜ。
鼻歌交じりに。
嘘でも余裕ぶちかまして。
ま、嘘だけどね。
必死よ必死。
頑張れ。
もっと頑張れ。
まだ足りねーんだってことに
気づきやがれ自分。
と思うのはダメでしょうか?
一緒に行かね?

せっかく書いたので載せておくが、けっこう自分にとっては意味のある話。

昨年がフェス参加の公演がすべてで、自主公演がなかった。あるいは、ここ数年の公演は、多くがフェス参加で自主公演は少ない。それはある意味、「ぜひ」と請われて公演が出来る嬉しさがあり、経済的には少なく抑えられる可能性の中で公演が実現できるということなのだ、が、ぶっちゃけて言えば、実際はそうなっていない。動員は少なく、また、単に一回一回の動員の問題ではなく、次に繋がって行かない印象、未来へのステップとしての側面が弱い印象が拭えないのが問題として大きい。行動を振り返ろう。昨年までの自分の、あるいは楽園王の反省として、向こうからやってくるものに対しOKをすることでスケジュールが埋まって行った、ということが大きかった。反省というか、気持ち的には落ち込んでしまったのが正直なところ。それは、具体的には、自分で自分の稽古場でいい仕事が出来て、いい作品が作られたと思っても、そこで終わりではないので、制作とか、全体を通してみると、問題を残すということ。もちころんこれは、作品への愛とか、出演者への感謝とは別の問題。繰り返しになるが、上演した作品そのものは不満もなく、罪もない。仲間にも恵まれていると強く感じている。良かったところまで否定しているわけではない。また、声を掛けていただけるのは嬉しいし、大変ありがたい。だから、可能な限りは「行きたい」と思ってしまうのだったが、こうやって問題が自分の中で浮き彫りになり、また、長い目で自分の、そしてカンパニーの未来を見ると、やはりこのままでは継続が難しいと感じてしまった。自分の演劇を継続する道も、劇団の存続も、今のままでは難しい。そう思っている。何か、抜本的な改善を、自分の中に起こして行かなければ、と考えている。色々とあがくのがこれからの数年だと思っている。姿勢の問題として書くなら、過去にも言ったことがあるが、現状に本当は不満があるのに、愛着のある今にしがみついて、何かを変えようとしないのは馬鹿である。不満があるなら、例え万が一失敗しても、どうあっても、何かを変えるのが当然の行動だ。だが、現実には、しばしば人は不満を我慢して現在にしがみつく、そういうことが非常に多い。矛盾するようだが、人は新しいチャレンジより、そこへ留まるストレスのなさを選択するものなのだ。しかし、それを打開しないでは、本当に次へ進んで行くとは出来ない。まずは自分を騙してでも、具体的に動くことだ。とにかく変える。違うことをする。何かを辞めて、何かを始める。それは、とてもとてもとても大事なことだと僕は思う。これは、もしかしたら、僕やカンパニーの問題ではなく、係わる役者など一人一人の問題としても、同じでないだろうか? もう一回書いておく。現状に本当は不満があるのに、愛着のある今にしがみついて、何かを変えようとしないのは馬鹿である。それを肝に銘じる。

色弱について

実は僕は「色弱」です。典型的な、赤と緑が区別しづらい、というもので、男性では20人に1人はいる、って説もあるので、珍しい訳でもありません。少し困ることもありますが、まったく分からないというレベルでもなく、うまく付き合って来ています。僕が紫を身につけている場合には、大抵は紺色だと思っている、そんなくらいですか、困る時は。ゴッホが色弱だって話もありますから、それ以外の才能と努力が実れば画家にだってなれますからね、色覚異常、って言われ方には抵抗すら感じます。僕らの時代には学校で色覚検査を当たり前にやっていたので、自分が色弱だという認識が僕にはありますが、今ではやってないそうですね。なんででしょうかね? で、実は最近、急に、自分は見え方が違うんだな、としみじみ思ったのです。生き物には色を識別する受容体があって、人間は3色3受容体ですべてを認識しているそうです。で、僕の場合には、その中の赤色を認識する受容体が壊れている。まったくダメ、なのか、少し故障しているくらいかは調べてないので不明です。時には、4つの受容体を持って色を認識している方もいるそうで、その方には信じられないくらいの鮮やかさで世界が見えているそうです。テレビで、そんな方にたくさんの同じようなトマトを黄色い順に並べるって実験をやっていました。普通の人には全部ただ赤いだけのトマトを、わずかな色味の差も感じて黄色い順に並べられる。僕には、緑との差すらあやふやな赤という色を、です。ちなみにトンボは凄い数の色認識ができるどうですが、まあ、その話は置いておいて、自分に話に戻りますが、ああそうか、赤って他に人にとってもっときっと鮮やかなんだ!と急に思ったのです。鮮やかだから、目立つ色だから、危険信号の色になったり、目立たせる場面で使用されたりしている。きっとそうなんですね?って急にひらめいた。そして、想像力は広がります。つまり色は、人にとって同じ色ではない、ということです。そこに、紛れもない、確固たる色が存在しているわけではなく、常に受け手の問題で色が決定されているだけ。変な言い方になりますが、色とは最初からすでにあるのではなく、色なき世界を僕らはそれぞれが勝手にそれぞれの色を着色しているのに過ぎない。僕は想像上の、認識が出来ない認識前の色を確定されてしまってない世界を思い浮かべます。ありえないですが、モノクローム、みたいな。で、話は変わりまして、ちょっと思い出したことがあります。昔、高校の演劇部にいた子で、ずっと眼鏡だった子がいるのですが、ある日コンタクトにしたのです。で、今まで、実は少しゆがんだレンズの眼鏡で見ていた世界が本物だと思っていたのが、ぜんぜんそうではなかったって気がついたって話です。もっと全体が太って認識していたそうです。もっと世界は痩せていたそうです。好きだったアイドルがもっと痩せたアイドルだったそうです。レンズが変われば世界も変わる。で、それでふっと思うのは、眼球もレンズだということです。そのレンズには、個人個人に差があるでしょう。僕の色弱と同じように、異常なゆがみのレンズを持った人だっているはずです。つまり、そこで思うのは、そもそも僕らは同じ世界を見ているのか?って問題です。つまりつまり、目の前には確固たるしっかりした世界があるわけではなくって、それは実はすごく曖昧で、認識している人の問題、眼球の機能に左右されて、世界の見え方とは人それぞれにぜんぜん違うのではないか、そんな風に考えたわけです。色の話と同じです。このことでは、手塚治虫の火の鳥に思いつく場面がありますし、フィリップKディックの短編で思い出すものがあります。そして、想像力がさらに加速します。僕は考えます。絶望、について考えます。今、目の前にある、絶望、について。世界の絶望について。色、そして形、今世界の見え方が受け手次第だということを書いてきました。今までも多くの学者さんが同じようなことを行ってきているはずです。そんな大した発見でもない(笑) これから書くことも何かの本では読んで耳にタコが出来るくらいの話かもしれない。そうでしょうそうでしょう。でも色弱の人間から見れば、単に考え方の問題ではなく、腑に落ちること、それは実感です。今目の前、たぶん、そこには確固たる揺るぎない絶望なんてものは存在しないのではないか? あれは蜃気楼、まぼろし、あるいは霧みたいなものか。つまり、常に世界のほうは中立で、どうとでも考えられる曖昧なものだけがそこに存在していて、それを解釈して(勝手に解釈して)絶望と名付けたのは自分自身なのではないか、そんな話です。それは、たぶん、事実です。自分を取り巻く世界とはけっこう曖昧、色もハッキリせず、形も受け手次第で、絶望や希望、喜びや悲しみも全部、決めるのは自分自身、いや、すでにもう決めているのが自分自身である、って話は事実でしょう。例えば僕が今考えているのは、僕の色弱や誰かの近眼や眼鏡のゆがみと同レベルでの精神疾患についてのことです。僕には、悪いけど、心の病なんてそれくらいの程度の問題です。低いとは言いませんし、低いか高いかは分かりませんが、解決の糸口は、解決と呼べるか分かりませんが、付き合い方は存在する、そういうような意味です。残念ながら、残念ですね、心なんて、薬が効きます。薬品なんかですら、気分をピピッて制御できてしまいます。色覚異常用の眼鏡なんてものも存在するし、近眼も老眼も眼鏡やコンタクトで付き合っていける。心の問題にも、ね、世界には確固としたものなんてないのだから、どうとでも対処できる、というのが僕の立場です。そして世界への見え方が以前とは変質する。モノクローム。それは僕にとっては単に白黒の世界ではなく、着色前の曖昧な世界の状態、そこへ絶望を着色するのか、希望を着色するのか、希望まではちょっと厳しいけど安泰を着色するのか、は、自分次第です。もちろん、色弱の僕にはちょっとした工夫も必要なんだけど、ね、誰かに手助けしてもらおうと勝手に思っています。演劇にはそれが必要だし、幸いにも人には恵まれているのだからと。(楽園王 長堀博士)

劇団の経済について。

劇団の経済について。今年、出演者の一人に、慈善事業で(芝居を)やってるわけではない、と言われた事があります。前後の話は別にいいのですが、そういう言い方をしてしまうと、僕にとって、あるいは楽園王にとっては、演劇は慈善事業です。演劇をすることは明らかに生活を経済的には圧迫して、やり繰りはけっこう大変です。楽園王の人件費は、スタッフをフルにお願いする時などは予算の半分くらいに達します。100万規模の公演なら50万が人件費です。で、スタッフでギャランティなどを受け取る側は、そのギャラがチケット収入から出ていると勘違いしていますが、チケット収入は劇場費や稽古場代など制作費で相殺されていますので、事実は、全部ではないにしても僕のポケットマネーから出ているのがほとんどです。多くの公演で、参加費をいただくことが多いものの、チケットノルマ制にしていないことで、出演者へは大きな負担は掛かっていないとは思いますが、その分を劇団が補っているのが事実で、それが旗揚げからずっと、27年間続いている、というのが劇団の主宰者である僕の認識です。例外は、静岡舞台芸術財団、通称SPACに呼んでいただいた2公演くらいでしょうか。あれは最初に150万の制作費をいただいての公演でしたので、心配のない作品作りが出来ました。その、静岡の件があるから、とも言えますが、でも実は、各公演の赤字は、しかし劇団の認識としてはプラス方向に、一種の「宣伝費」として考えてもいます。一つの公演が赤字でも、劇団運営という繋がった長い時間から考えると、ある赤字公演があったから別の黒字公演が出来る、みたいにトータルで考えることが出来れば、公演単位ではなく、劇団運営単位で勝てれば(せめてトントンなら)いいと考えてもいいと思います。利賀のコンクール参加が静岡での公演につながった事など、分かりやすい例で、だから、コンクールなどは分かりやすくバックが期待できる?ので、少し力を入れてきました。フェス参加にも、そのような期待が込められている時があります。つまり、劇団名を引き上げる「宣伝費」で、その宣伝効果からいつかその赤字分は回収したいと考えてもいます。ところで、楽園王はずいぶん前にチケットノルマ制はやめてしまいました。上で書いたように、参加費という名目で幾らかは設定する場合も多いですが、ノルマ制と比較したらそれは少額だと思われ、また、いつかはそれもやめて、純粋にチケット収入(や、それ以外の劇団収入がある場合には、それ)が劇団の経済を支えることを目指しています。もちろん出演者へのギャラへも。ですが、僕個人は、チケットノルマ制に完全には反対ではありません。色々見ていった結果、仕方がない、と考えています。チケットノルマ制は、言わば、観客をお客さんとして考えるのではなく、出演者を収入の当てにするシステムです。考え方は、ハッキリ言って、ネズミ講と同じです。ですが、このやり方が小劇場演劇を支えてきた事実は否定できません。一昔前ならこれが普通でした。ただ、この方法が、出演者を必要以上に疲弊させて、演劇離れに一役買っているのも事実です。だから、多くの心ある演劇人が、こんなやり方は間違っているとばかりに、ノルマ制を否定したりします。しかし、出演者を疲弊させないやり方をし続けると、今度は劇団そのものが疲弊します。そして、出演者が疲弊してこの世界を去っていくのと同じように、劇団が疲弊すれば劇団はつぶれます。あらためて言いますが、演劇は、その業界自体が、経済的には豊かな世界ではありません。その演劇活動だけで、長く、カンパニーを支え続けるのは困難な世界だと言わざるを得ません。文学座、俳優座など、昔からずっと続いている新劇の劇団が継続させるために選んだ道は、研修生制度という学校化です。そこで集めた学費が実はカンパニーの大きな支えになっています。今の小劇場系の劇団の演出家や俳優も、実は先生へと進む場合が多いですが、それは同じことかもしれませんね。アウトリーチがあって、なんとか食べて行っている人が多い。そして、今書いてきたことを踏まえると、昔から、劇団は、俳優を志す人を、劇団活動を支える糧にしてきました。チケットノルマ制には、同質の意味合いがあります。誰かがどっかで支払わなければならないお金を、俳優を志す人に、彼らの夢に求めているのは、今も昔もずっと変わりません。そして、もちろん、そんな中ででも、一部の一握りの人だけが、認められてギャラをキチンともらえる俳優になります。演技の力があるのはもちろん、その人が出演することで、あの人が出ているのならってお客さんが足を運ぶキッカケになるような存在が、プロの俳優と呼べるでしょう。演劇的な問題プラス、そりゃ公演の経済に一役買わねばなかなかプロとは呼ばれない。あるいは、劇団がギャラを出してでも出てほしいと思うのなら、やっぱりプロと呼べるかも知れません。強烈な才能があるなら。今まで書いてきたように、演劇において、お金を出すのが誰か、は、実はあまり関係がないのです。この世界の経済は、こう考えていくと、一般の商売の考え方とは違うことが分かっています。演劇には、芸術、って意味合いもあります。僕は特に、芸術だと思って作品作りをしている一人ですので、普段から芸術なりの考え方で考えたりしています。つまり、普通の商売ではない、と。そもそも、普通の商売って考え方なら、僕はここまで継続してこなかったでしょう。つまり、お金なんて入ってこないのに、です。ご存知の方はご存知のように、芸術、って価値を高めると、国や地方自治体などが助成金を出すシステムがあり、多くの劇団がそういうところから高額の助成金を得て活動をしています。それは、演劇という芸術の一端が、例えば教育や医療と同じような公共の価値を持っている、という考え方もあるからです。実はそういう価値観から見れば、日本は遅れている国なのですが、世界的に見れば、文化芸術に国がお金を出して育てていくことは、常識とも呼べることです。遅れている、とは言いましたが、日本にもそういうお金の配分はありますし、それで支えられている側面はあります。上記した静岡の件ですが、150万というお金は、本をただせば県の税金から出ているものですし。うまく、それをもらえる立場になれば、経済的には心配のない地位から演劇活動を出来たりもします。あらためて考えると、過去、大多数のカンパニーが、チケットノルマ制でも研修生制度などで役者からお金を貰うことで維持してきたか、あるいは助成金や、ここには書きませんでしたがスポンサーなどを得て、つまりはチケット収入を純粋な当てにしないで、どうにか活動を維持させてきました。また、どういう理由からでもそれを選択しなかったカンパニーもあって、それらは存続が難しくって消えていきました。それが僕の目から見た事実認識です。
話が、長く、そして、ずれ込んで来ましたが、書きたかった話としては、さて、これから、楽園王がそれまで掛けた予算を回収しようと考えている、と、そんな話です。実はここ最近、本当に経済的には厳しいと受け止めています。日本全体の経済状況や、その中での価値観の変貌が背景にはあるでしょう。フェスへの参加から公演を決め、長堀が仕事を覚えちゃったからスタッフも雇わず、一人で色々やってって公演をしても、経済の点では、実はやはり結果は良くありません。それに関しては、もう楽園王には、何か、ある種のエネルギーがなくなったかのような、そんな印象を感じています。錯覚であっても。これは、しかし、上演した作品への満足とは掛け離れた状況です。そう、そうなんです、作品へのある一定の満足はあるのです。だから、今も、作品の話ではなく、経済だけの話としてこれを書いてきています。でも、経済大事大事。これは生き死に問題ですから。今、あらためて、一回いろいろ考え直して、いやいや、毎回、毎年が一回考え直したりもしているのですが、さらに引いて、熟考して、新たな作戦で公演を考えたいと思っているのが、ちょうど今現在です。
売る、ということについて、少し沿った考えで公演を考えて行きたいです。また、経済を圧迫しないことを最初から計算もして計画をしていきます。2018年、劇団27年目、生き残りを考え、さらに長く継続することを考え、ちょっと工夫を凝らしていろいろ動いていきます。そう、生き残り、ってレベルだと思っていますよ。もうね、劇団の継続が今になって本当厳しくなってきたって。今ちょっと考えていかないと、本当ちょっと心配。あらためまして、よろしくお願いします。もちろん、ウィン×ウィンの関係で、係わってくれた仲間と共に、一緒に上がっていければと考えているところです。(楽園王・長堀博士)