楽園王2018-2021 >>













27年目の楽園王、見回してみると、今のこの社会にとって大切なのは、東京オリンピック開催の実は翌年である、2021年だと考えています。昔、一部の芸術家だけが、この家々とビルが立ち並ぶ都市に荒野を視ている、と書いたことがありますが、現状は考えている以上に酷いのではないか、と思えます。目に見える箱はすべて張梵天(はりぼて)で、中はスカスカ、世界はただの荒地で、廃墟かもしれない。ある日、オリンピックという蜃気楼が消えて、経済が確実に下降線を辿っているのがハッキリ目に見えて、対策をしていないこの国では様々な問題が浮き彫りになってくる。一言で言って、ヤバイ。そう思えるのですが、如何でしょうか? そしてそんな3年後、楽園王にとっては劇団30周年の年でもあります。長く続いているカンパニーとして、長期的な視野でものごとを見られるのも利点。そこで楽園王では、2021年までの活動のグランド・プランをほぼ決定し、来るべき日に向けて準備を始めています。明日終わってしまうカンパニーではなく、継続していくものとして、今までの仲間に新しく助力してくれる才能を加えて、より力のある作品を発表してまいります。生き残りをかけて。あるいは、新たな道を探して。あらためまして、よろしくお願いいたします。どうか、本当によろしくお願いいたします。
と、いうわけで、
今、
いや、きっといつでも、
いつでも、
出演していただける仲間、意欲あふれるスタッフを求めています。何か、ビビッと来るところはありませんでしたか? どうか何かあったなら、是非ご連絡下さい。楽園王は1991年に長堀博士の戯曲を発表する場としてスタートしました。長堀が描く物語は、「エッシャーの絵に中に紛れ込んだよう」と評される、迷路のような、どんな出口にたどり着くのか分からないのが特徴です。また、古典戯曲を上演するカンパニーとしても定評があり、優秀演出家賞などの受賞実績があります。演出の視点からお話すれば、長く続いている劇団としてのノウハウを生かし、俳優の力を引き出して、広く舞台の世界で活躍できる未知の才能を発信したいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。 >> home@rakuenoh.tokyo


もしもそれを奇跡と呼ぶのなら、

もしもそれを奇跡と呼ぶのなら、
わたしは奇跡を信じようと思います。
手を伸ばして。
頑張れという励ましは、
すでに頑張っている人へは
使ってはいけない言葉だそうです。
頑張れ。
もっと頑張れ。
まだ足りねーんだってことに
気づきやがれ自分。
と思うのはダメでしょうか?
誤魔化し誤魔化し、
自分のこころと身体を使って、
なんとか辿り着きたいものです。
誤魔化し誤魔化しっていうのが味噌ね。
這ってでも到着したい場所を、
頭の中に思い描く。
少し具体的に、
ちゃんと具体的に、
夢ではなく、
野心と呼び換えて、
計画として思い描く。
まずは一歩前へ。
二歩目もすぐにね。
声に出して、
なあ行こうぜって云ってみる。
なあ行こうぜ。
鼻歌交じりに。
嘘でも余裕ぶちかまして。
ま、嘘だけどね。
必死よ必死。
頑張れ。
もっと頑張れ。
まだ足りねーんだってことに
気づきやがれ自分。
と思うのはダメでしょうか?
一緒に行かね?

色弱について

実は僕は「色弱」です。典型的な、赤と緑が区別しづらい、というもので、男性では20人に1人はいる、って説もあるので、珍しい訳でもありません。少し困ることもありますが、まったく分からないというレベルでもなく、うまく付き合って来ています。僕が紫を身につけている場合には、大抵は紺色だと思っている、そんなくらいですか、困る時は。ゴッホが色弱だって話もありますから、それ以外の才能と努力が実れば画家にだってなれますからね、色覚異常、って言われ方には抵抗すら感じます。僕らの時代には学校で色覚検査を当たり前にやっていたので、自分が色弱だという認識が僕にはありますが、今ではやってないそうですね。なんででしょうかね? で、実は最近、急に、自分は見え方が違うんだな、としみじみ思ったのです。生き物には色を識別する受容体があって、人間は3色3受容体ですべてを認識しているそうです。で、僕の場合には、その中の赤色を認識する受容体が壊れている。まったくダメ、なのか、少し故障しているくらいかは調べてないので不明です。時には、4つの受容体を持って色を認識している方もいるそうで、その方には信じられないくらいの鮮やかさで世界が見えているそうです。テレビで、そんな方にたくさんの同じようなトマトを黄色い順に並べるって実験をやっていました。普通の人には全部ただ赤いだけのトマトを、わずかな色味の差も感じて黄色い順に並べられる。僕には、緑との差すらあやふやな赤という色を、です。ちなみにトンボは凄い数の色認識ができるどうですが、まあ、その話は置いておいて、自分に話に戻りますが、ああそうか、赤って他に人にとってもっときっと鮮やかなんだ!と急に思ったのです。鮮やかだから、目立つ色だから、危険信号の色になったり、目立たせる場面で使用されたりしている。きっとそうなんですね?って急にひらめいた。そして、想像力は広がります。つまり色は、人にとって同じ色ではない、ということです。そこに、紛れもない、確固たる色が存在しているわけではなく、常に受け手の問題で色が決定されているだけ。変な言い方になりますが、色とは最初からすでにあるのではなく、色なき世界を僕らはそれぞれが勝手にそれぞれの色を着色しているのに過ぎない。僕は想像上の、認識が出来ない認識前の色を確定されてしまってない世界を思い浮かべます。ありえないですが、モノクローム、みたいな。で、話は変わりまして、ちょっと思い出したことがあります。昔、高校の演劇部にいた子で、ずっと眼鏡だった子がいるのですが、ある日コンタクトにしたのです。で、今まで、実は少しゆがんだレンズの眼鏡で見ていた世界が本物だと思っていたのが、ぜんぜんそうではなかったって気がついたって話です。もっと全体が太って認識していたそうです。もっと世界は痩せていたそうです。好きだったアイドルがもっと痩せたアイドルだったそうです。レンズが変われば世界も変わる。で、それでふっと思うのは、眼球もレンズだということです。そのレンズには、個人個人に差があるでしょう。僕の色弱と同じように、異常なゆがみのレンズを持った人だっているはずです。つまり、そこで思うのは、そもそも僕らは同じ世界を見ているのか?って問題です。つまりつまり、目の前には確固たるしっかりした世界があるわけではなくって、それは実はすごく曖昧で、認識している人の問題、眼球の機能に左右されて、世界の見え方とは人それぞれにぜんぜん違うのではないか、そんな風に考えたわけです。色の話と同じです。このことでは、手塚治虫の火の鳥に思いつく場面がありますし、フィリップKディックの短編で思い出すものがあります。そして、想像力がさらに加速します。僕は考えます。絶望、について考えます。今、目の前にある、絶望、について。世界の絶望について。色、そして形、今世界の見え方が受け手次第だということを書いてきました。今までも多くの学者さんが同じようなことを行ってきているはずです。そんな大した発見でもない(笑) これから書くことも何かの本では読んで耳にタコが出来るくらいの話かもしれない。そうでしょうそうでしょう。でも色弱の人間から見れば、単に考え方の問題ではなく、腑に落ちること、それは実感です。今目の前、たぶん、そこには確固たる揺るぎない絶望なんてものは存在しないのではないか? あれは蜃気楼、まぼろし、あるいは霧みたいなものか。つまり、常に世界のほうは中立で、どうとでも考えられる曖昧なものだけがそこに存在していて、それを解釈して(勝手に解釈して)絶望と名付けたのは自分自身なのではないか、そんな話です。それは、たぶん、事実です。自分を取り巻く世界とはけっこう曖昧、色もハッキリせず、形も受け手次第で、絶望や希望、喜びや悲しみも全部、決めるのは自分自身、いや、すでにもう決めているのが自分自身である、って話は事実でしょう。例えば僕が今考えているのは、僕の色弱や誰かの近眼や眼鏡のゆがみと同レベルでの精神疾患についてのことです。僕には、悪いけど、心の病なんてそれくらいの程度の問題です。低いとは言いませんし、低いか高いかは分かりませんが、解決の糸口は、解決と呼べるか分かりませんが、付き合い方は存在する、そういうような意味です。残念ながら、残念ですね、心なんて、薬が効きます。薬品なんかですら、気分をピピッて制御できてしまいます。色覚異常用の眼鏡なんてものも存在するし、近眼も老眼も眼鏡やコンタクトで付き合っていける。心の問題にも、ね、世界には確固としたものなんてないのだから、どうとでも対処できる、というのが僕の立場です。そして世界への見え方が以前とは変質する。モノクローム。それは僕にとっては単に白黒の世界ではなく、着色前の曖昧な世界の状態、そこへ絶望を着色するのか、希望を着色するのか、希望まではちょっと厳しいけど安泰を着色するのか、は、自分次第です。もちろん、色弱の僕にはちょっとした工夫も必要なんだけど、ね、誰かに手助けしてもらおうと勝手に思っています。演劇にはそれが必要だし、幸いにも人には恵まれているのだからと。(楽園王 長堀博士)

劇団の経済について。

劇団の経済について。今年、出演者の一人に、慈善事業で(芝居を)やってるわけではない、と言われた事があります。前後の話は別にいいのですが、そういう言い方をしてしまうと、僕にとって、あるいは楽園王にとっては、演劇は慈善事業です。演劇をすることは明らかに生活を経済的には圧迫して、やり繰りはけっこう大変です。楽園王の人件費は、スタッフをフルにお願いする時などは予算の半分くらいに達します。100万規模の公演なら50万が人件費です。で、スタッフでギャランティなどを受け取る側は、そのギャラがチケット収入から出ていると勘違いしていますが、チケット収入は劇場費や稽古場代など制作費で相殺されていますので、事実は、全部ではないにしても僕のポケットマネーから出ているのがほとんどです。多くの公演で、参加費をいただくことが多いものの、チケットノルマ制にしていないことで、出演者へは大きな負担は掛かっていないとは思いますが、その分を劇団が補っているのが事実で、それが旗揚げからずっと、27年間続いている、というのが劇団の主宰者である僕の認識です。例外は、静岡舞台芸術財団、通称SPACに呼んでいただいた2公演くらいでしょうか。あれは最初に150万の制作費をいただいての公演でしたので、心配のない作品作りが出来ました。その、静岡の件があるから、とも言えますが、でも実は、各公演の赤字は、しかし劇団の認識としてはプラス方向に、一種の「宣伝費」として考えてもいます。一つの公演が赤字でも、劇団運営という繋がった長い時間から考えると、ある赤字公演があったから別の黒字公演が出来る、みたいにトータルで考えることが出来れば、公演単位ではなく、劇団運営単位で勝てれば(せめてトントンなら)いいと考えてもいいと思います。利賀のコンクール参加が静岡での公演につながった事など、分かりやすい例で、だから、コンクールなどは分かりやすくバックが期待できる?ので、少し力を入れてきました。フェス参加にも、そのような期待が込められている時があります。つまり、劇団名を引き上げる「宣伝費」で、その宣伝効果からいつかその赤字分は回収したいと考えてもいます。ところで、楽園王はずいぶん前にチケットノルマ制はやめてしまいました。上で書いたように、参加費という名目で幾らかは設定する場合も多いですが、ノルマ制と比較したらそれは少額だと思われ、また、いつかはそれもやめて、純粋にチケット収入(や、それ以外の劇団収入がある場合には、それ)が劇団の経済を支えることを目指しています。もちろん出演者へのギャラへも。ですが、僕個人は、チケットノルマ制に完全には反対ではありません。色々見ていった結果、仕方がない、と考えています。チケットノルマ制は、言わば、観客をお客さんとして考えるのではなく、出演者を収入の当てにするシステムです。考え方は、ハッキリ言って、ネズミ講と同じです。ですが、このやり方が小劇場演劇を支えてきた事実は否定できません。一昔前ならこれが普通でした。ただ、この方法が、出演者を必要以上に疲弊させて、演劇離れに一役買っているのも事実です。だから、多くの心ある演劇人が、こんなやり方は間違っているとばかりに、ノルマ制を否定したりします。しかし、出演者を疲弊させないやり方をし続けると、今度は劇団そのものが疲弊します。そして、出演者が疲弊してこの世界を去っていくのと同じように、劇団が疲弊すれば劇団はつぶれます。あらためて言いますが、演劇は、その業界自体が、経済的には豊かな世界ではありません。その演劇活動だけで、長く、カンパニーを支え続けるのは困難な世界だと言わざるを得ません。文学座、俳優座など、昔からずっと続いている新劇の劇団が継続させるために選んだ道は、研修生制度という学校化です。そこで集めた学費が実はカンパニーの大きな支えになっています。今の小劇場系の劇団の演出家や俳優も、実は先生へと進む場合が多いですが、それは同じことかもしれませんね。アウトリーチがあって、なんとか食べて行っている人が多い。そして、今書いてきたことを踏まえると、昔から、劇団は、俳優を志す人を、劇団活動を支える糧にしてきました。チケットノルマ制には、同質の意味合いがあります。誰かがどっかで支払わなければならないお金を、俳優を志す人に、彼らの夢に求めているのは、今も昔もずっと変わりません。そして、もちろん、そんな中ででも、一部の一握りの人だけが、認められてギャラをキチンともらえる俳優になります。演技の力があるのはもちろん、その人が出演することで、あの人が出ているのならってお客さんが足を運ぶキッカケになるような存在が、プロの俳優と呼べるでしょう。演劇的な問題プラス、そりゃ公演の経済に一役買わねばなかなかプロとは呼ばれない。あるいは、劇団がギャラを出してでも出てほしいと思うのなら、やっぱりプロと呼べるかも知れません。強烈な才能があるなら。今まで書いてきたように、演劇において、お金を出すのが誰か、は、実はあまり関係がないのです。この世界の経済は、こう考えていくと、一般の商売の考え方とは違うことが分かっています。演劇には、芸術、って意味合いもあります。僕は特に、芸術だと思って作品作りをしている一人ですので、普段から芸術なりの考え方で考えたりしています。つまり、普通の商売ではない、と。そもそも、普通の商売って考え方なら、僕はここまで継続してこなかったでしょう。つまり、お金なんて入ってこないのに、です。ご存知の方はご存知のように、芸術、って価値を高めると、国や地方自治体などが助成金を出すシステムがあり、多くの劇団がそういうところから高額の助成金を得て活動をしています。それは、演劇という芸術の一端が、例えば教育や医療と同じような公共の価値を持っている、という考え方もあるからです。実はそういう価値観から見れば、日本は遅れている国なのですが、世界的に見れば、文化芸術に国がお金を出して育てていくことは、常識とも呼べることです。遅れている、とは言いましたが、日本にもそういうお金の配分はありますし、それで支えられている側面はあります。上記した静岡の件ですが、150万というお金は、本をただせば県の税金から出ているものですし。うまく、それをもらえる立場になれば、経済的には心配のない地位から演劇活動を出来たりもします。あらためて考えると、過去、大多数のカンパニーが、チケットノルマ制でも研修生制度などで役者からお金を貰うことで維持してきたか、あるいは助成金や、ここには書きませんでしたがスポンサーなどを得て、つまりはチケット収入を純粋な当てにしないで、どうにか活動を維持させてきました。また、どういう理由からでもそれを選択しなかったカンパニーもあって、それらは存続が難しくって消えていきました。それが僕の目から見た事実認識です。
話が、長く、そして、ずれ込んで来ましたが、書きたかった話としては、さて、これから、楽園王がそれまで掛けた予算を回収しようと考えている、と、そんな話です。実はここ最近、本当に経済的には厳しいと受け止めています。日本全体の経済状況や、その中での価値観の変貌が背景にはあるでしょう。フェスへの参加から公演を決め、長堀が仕事を覚えちゃったからスタッフも雇わず、一人で色々やってって公演をしても、経済の点では、実はやはり結果は良くありません。それに関しては、もう楽園王には、何か、ある種のエネルギーがなくなったかのような、そんな印象を感じています。錯覚であっても。これは、しかし、上演した作品への満足とは掛け離れた状況です。そう、そうなんです、作品へのある一定の満足はあるのです。だから、今も、作品の話ではなく、経済だけの話としてこれを書いてきています。でも、経済大事大事。これは生き死に問題ですから。今、あらためて、一回いろいろ考え直して、いやいや、毎回、毎年が一回考え直したりもしているのですが、さらに引いて、熟考して、新たな作戦で公演を考えたいと思っているのが、ちょうど今現在です。
売る、ということについて、少し沿った考えで公演を考えて行きたいです。また、経済を圧迫しないことを最初から計算もして計画をしていきます。2018年、劇団27年目、生き残りを考え、さらに長く継続することを考え、ちょっと工夫を凝らしていろいろ動いていきます。そう、生き残り、ってレベルだと思っていますよ。もうね、劇団の継続が今になって本当厳しくなってきたって。今ちょっと考えていかないと、本当ちょっと心配。あらためまして、よろしくお願いします。もちろん、ウィン×ウィンの関係で、係わってくれた仲間と共に、一緒に上がっていければと考えているところです。(楽園王・長堀博士)

劇団を長く続けるコツは?

劇団を長く続けるコツは? そう聞かれることも今までにありましたが、ちゃんと答えられたことがないと思います。自分でも分からない、というのが正直なところでしたし、常に今目の前のこと、少し先のことで一生懸命で必死だから、余裕なんてないから、振り返って検証なんてことも出来ていなかった。そもそも、長く続けるつもりがなかった。2年で10本を発表して一端終わりにするつもりで劇団名を作って劇場を借りたのだった。田端ディプラッツ。最初の1年ではその同じ劇場で計画通り5本の新作を発表した。もし続く1年で5本を上演していたなら、きっと1993年には一端終わりにしていたに違いないと思う。だが、2年目はとうとう公演が出来なかった。公演は黒字ではなく、お金の問題もありますが、ま、作家としてちょっと厳しかった。実際はその後何年も再演ばかりで、新作を発表するまでに時間を要した。劇団が継続している理由として、まず挙げられるのは、計画が失敗した、とか、そういう感じになると思う。
だが、それで説明できるのは最初の10年の活動である気がしている。続く10年くらいを継続できたのは、劇団の方向性をうまくシフトチェンジ出来たから、だと最近になって気づいた。なぜシフトチェンジが出来たのかと言えば、運と、出演者に恵まれたから、ということに尽きる。
運、というのは、1つには仲間のカンパニーの活躍が一つにはある。それは、身近な憧れや具体的な目標になり、公演規模が少しずつ大きくなるある劇団を追いかけたは良かったと思う。東京で活動していた時の名前で言うなら、ジンジャントロプスボイセイという劇団、今はで鳥の劇場へと発展している。楽園王が東京劇術劇場で頻繁にやるようになったのも、無理してでも青山円形劇場で上演したのも、1歩も2歩も先を行くジンジャンがあったから。くしくも、利賀演出家コンクールで評価されたのもジンジャンが先だったし、さらに上を行かれているし、今もそう。
今、利賀のコンクールのことに触れたが、このコンクールが始まり、優勝賞金が300万と高額で吸引力が凄まじく、結果、生まれて初めて自分が書いたものではない古典戯曲の世界に足を突っ込んだことは大きい。その後の活動を大きく変えに変えたと思う。そのタイミングが劇団10年目くらいの時期だったことも運が良いと思える。いつか劇団というものが、今のままでは何だか打ち止め、って時期に差し掛かることがきっとあるのだが、楽園王はそういう時期に、それとは知らずに、違う方へ舵を切ったのだった。もし、劇団を長く続けるコツを教えるなら、このことは間違いない、と思う。つまり、何だか打ち止めになる時に、とにかく違う方へ舵を切れるかどうか。僕にとっては運だったが、もちろん、計算してそう動いたってイイ。
そして同時に、そんな活動を支えてくれる仲間に恵まれたことは大きい。楽園王は、そりゃ最初は2年で辞めようと思っていたくらいだし、回りの劇団たちは劇団って名乗っているけど、ぶっちゃけ1年2年でメンバーぜんぜん違うしね、劇団員制を取らなかった。常に一つの公演が一つの劇団、って意味で、楽園王Ⅰ、楽園王Ⅱって具合に公演毎に劇団名の数字をつけてスタートしたのだった。にもかかわらず、長い目で見れば多くの才能ある出演者に恵まれた。いつも。たくさんの方が気持ちも労力も割いてくれて、5年、10年、15年と違うことをやる劇団のその時々に、相応しい人が近くにいたと思っている。本当、運が良かったと思うのは、人の存在においてである。それには本当、感謝の気持ちしかなく、誰にも頭が上がらない。
っていうような文章で、劇団を長く続けられるコツ、なんとか答えになっていますかしら? 今ここに書いたことは、あらためて僕自身にとっても参考になることです。つまり劇団を長く続けられるコツを考えることは、劇団をもっともっと長く続けられるヒントが隠れているだろうから。今実はそんな時期間も知れないのです。ちょっと、何か考えないといけない時期。ですので、何か楽園王に変化が訪れたら、あっ、そういうシフトチェンジを選んだんだね、そう考えていただけるといいと思う。にしても、最近活躍している多くの若い劇団、すごく活躍していても、ああ、もう、終わりに近い、そう感じたりしていることは告白しておきます。そういうとこ、少なくない。ま、長く続くことが善で、終わることが悪じゃないし、もしかしたら引き際をうまくやれば、きっともっと大きな成功になるだろうと思いますので、この話はぜんぜん重要なことじゃないかも知れませんが。(楽園王 長堀博士)